スポンサーサイト

    上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
    新しい記事を書く事で広告が消せます。

    弥生人?博物館にやって来た。


    今回は少しディープなネタです。歳を重ねるとこんなテーマがきになるのですよ。

    「日本人のルーツを探る」つまり日本人はどこからやって来たのか?弥生人ははたして縄文人が進化した人種なのか、または朝鮮半島・大陸から渡来して来た人達なのか、あるいは縄文人との混血人種か、議論が分かれているところですね。

    そして最近の古代史は新しい発見があり、昔見知った内容とはコロッと違ってきています。その新しい仮説を垣間見る博物展が催されています。何が面白いのかと言うと、その議論に一石を投じた発掘を展示しているからなのです。

    大阪府立弥生文化博物館に1体の女性人骨が展示されています。これは、20周年を記念する特別展『弥生文化のはじまりー土井ヶ浜遺跡と響灘周辺』の目玉展示物なのです。

    併せて11月23日(祝)には記念シンポジウムが開かれます。
    土井ヶ浜遺跡の調査団長をされた金関丈夫博士の息子・現館長の金関恕氏をコーディネーターに「弥生文化のはじまり」と題して討論がされます。講師と講演内容は


    田畑直彦・山口大学埋蔵文化財資料館助教
    「弥生土器からみた土井ヶ浜弥生人」

    松井章・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長
    「韓国・金海会峴里(キメヘヒョンニ)貝塚の発掘と弥生文化への影響ー骨角器と金属器を中心にー」

    木下尚子・熊本大学教授
    「貝製品から見える韓半島との関係」

    中橋孝博・九州大学大学院教授
    「弥生人骨が解き明かした日本人の起源」

     さて、土井ヶ浜遺跡の調査はは1953年から始まりました。それまでは弥生人骨はほとんど見つかっておらず、日本人の成り立ちを考える上で大きな空白となっていたのです。
     そういった中でこの遺跡では頭からつま先まで完全に残った人骨を含め300体以上も発見されたのです。この人骨はそれまでの縄文人とは違う特徴をもっており、土井ヶ浜弥生人と称されています。その特徴とは高身長でのっぺリとした顔、朝鮮半島からの渡来人と良く似ており彼等の影響があったと考えたのです。
    この写真は山口県にある『土井ヶ浜遺跡 人類学ミュージアム』にあった展示パネルです。縄文人と弥生人の顔の違いがわかるでしょ。
    doigahama171.jpg 
    doigahama161.jpg
     つまり、弥生時代のはじまりに朝鮮半島から新しい文化を持った人がやって来て、それまでいた縄文人と混血し弥生人となったという考えであります。これが「渡来・混血説」。
     さらにこの遺跡からは弥生社会を考えるヒントが多数あるのです。たとえば、副葬品には南の島でしか採れない特別の貝があったり、北部九州や瀬戸内海の影響を受けた土器が出ています。土井ヶ浜弥生人が周りの地域と広く交流していた事がこんがえられるんです。
     この「土井ヶ浜遺跡」を含む響灘(ひびきなだ)には朝鮮半島で作られた珍しい鏡や銅剣が出土した「梶栗浜遺跡」、日本で有数の弥生集落「綾羅木郷(あやらぎごう)遺跡」があって、当時の賑わいを偲ばれるようです。 
    螻ア蜿」蝨ー蝗ウ_convert_20111030123945

     響灘については歴史的に重要な事がわかっています。
    それは弥生時代後期にここでクニができ、王が出現したということです。その証拠は下関市の「地蔵堂遺跡」から出土した馬車の部品。これは中国の漢時代の馬車に取り付けられる部品で、日本ではこの遺跡だけしか出土していないのですね。『魏志倭人伝』に書かれた「百余国」の王の一人が響灘にいたのです。


    しかし、ここで大反論する方がいらっしゃいます。面白いですね。古代史はこうでなくっちゃね。議論百出。証拠で構築される考古学でさえ定見になり得ませんね。

    長浜浩明・工学博士
    『日本人ルーツの謎を解くー縄文人は日本人と韓国人の祖先だったー』
    51bPvmC3SHL__SS500__convert_20111029215003.jpg
    この著書で長浜氏は弥生人渡来説を否定しています。端的に言えば、「日本人のルーツである縄文人が、定説とは反対に朝鮮半島に進出し文化を広げた。」という内容です。

    どうです? 刺激的でしょう。

    この中で、「土井ヶ浜遺跡」について触れられています。
     土井ヶ浜遺跡から出土した土器や装飾品は、朝鮮や大陸のものではなく、北部九州の土器なのです。つまり、渡来人ではなく北部九州からやって来た日本人であるというものです。
     さらに、弥生人特有の高身長でのっぺリとした顔は、縄文から弥生に生活が劇的変化があったための進化なのであると。コメ作りが縄文時代からあったという今日の知見から、ドングリを食べていた人の顔・形は米を食すると劇的に変化すると。これは文化人類学者が述べています。顎の形から弥生人は朝鮮半島ではなくもっと南の中国山東省だと。
     結局、長浜氏は弥生人には在来弥生人と少数の渡来弥生人がいたとしています。そして、形態人類学、染色体DNA分析、成人T細胞白血病ウイルスの分布状況、そして言語学から結論付けています。すなわち、私たちのルーツは縄文時代以前に、東シベリア・樺太など北部から南下した人々と、マラヤ・インドネシア・フィリピン・台湾・南太平洋から北上して来た人々なのであり、そして縄文人となるのであると述べている。
     そして、弥生時代は縄文人が進化した在来弥生人と少数の渡来弥生人が形成した時代であると。

    どうでしょうか、同じ物証でも考え方はまだまだ開きが大きいでしょ。古代史はこれだから止められません。

    テーマ : 歴史
    ジャンル : 学問・文化・芸術

    コメントの投稿

    非公開コメント

    月齢
    目次

    openclose

    プロフィール

    香川秀夫

    Author:香川秀夫
    【年齢】 ウーン、若いつもり・・・
    【性別】 男
    【誕生日】 桜咲く頃
    【趣味・興味】
    テナーサックスを少々、最近はアルトも。
     『長屋ほーんず』に所属
      (サックスだけのビッグバンド)
    音楽(ジャズ・スウィング系)
    古代史(とくに古事記以前)
    読書・映画鑑賞(アクション・SF)
    写真(風景、神社etc)
    天文・ウォーキング
    【嗜好品】
    酒(バーボン・芋焼酎)・珈琲
    パイプスモーキング、
      しかし今や禁煙歴6年
    【Twitter】
    一般日常: @munapipe
    動物関連: @munavet
    古代関連: @munauetufumi

    カレンダー
    05 | 2018/06 | 07
    - - - - - 1 2
    3 4 5 6 7 8 9
    10 11 12 13 14 15 16
    17 18 19 20 21 22 23
    24 25 26 27 28 29 30
    最新記事
    最近のコメント
    データ取得中...
    月別アーカイブ
    最新トラックバック
    リンク
    カウンター
    通知
    track feed リンク通知(トラックフィード)
    私の本棚
    TripAdvisor(旅の口コミ&ランキング)
    お勧めブログに掲載されました(右下)
    山口 旅行情報
    山口 旅行情報
    上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。