阿波国一宮 『大麻比古神社』に詣ってきました。
徳島県は徳島市の郊外にある板野町、ここは妻の亡くなった両親が眠るところ。
念願叶い、やっとその墓を大阪に移設することになり、供養するため行ってきました。
そして時間に若干の余裕がありましたので、有名なこの神社にお参りできました。
それはその隣町、鳴門市の山際にあるのが『大麻比古神社(おおあさひこ)』です。
一宮(いちのみや)とは、その地域の中で最も社格の高いとされる神社のことなんですね。
大阪から車で明石大橋を渡り、走る事2時間半の距離。
赤い大鳥居が見えた頃、頭を左に降れば山際に風景にはそぐわない建物が・・・
あとで調べるとドイツ館ということらしい。
第一次大戦時板東俘虜収容所に収容されていたドイツ兵士約一千人と地元の人たちの交流を記念して建てられた建築物。このドイツ兵は第一次大戦時、中国青島で俘虜になった約5千人のうちの約1千人です。1917年4月から約2年10ヶ月をこの地で過ごしました。
松江豊寿所長の人道的管理は、戦時下の日本の人を人として尊重する心を表しているという事で、この板東俘虜収容所は『バルトの楽園』(2006年上映)で映画化されました。さらに、年末の国民的イベントの合唱曲、ベートーヴェン「第九」交響曲は1918年6月1日、ここ板東において日本で始めて全楽章演奏されたとの事でした。
さて、『大麻比古神社』です。
なんと川岸にニホンザルがうろついていました。
カメラを向けると少し緊張したような恐がっているような動作。なるほど、野生のサル。境内でもうろついておりましたな。


寄進された狛犬像。よく見ると、足元でタバコの煙をモクモクと吹く人間の姿が。これは麻の神社から考えれば大麻(麻薬のタイマ)かも知れない。
帰り際に遭遇した新車への交通安全の祈祷。地元の方々に敬愛を受けている神社である事が窺われます。
さて、この大麻神社の祭神は二人の名前が挙がっていますが、実は、いろいろな説があります。
大麻比古神こと天太玉命は『古事記』では布刀玉命のこと。天照大神が天の石屋戸に隠れた祭の神事で、中臣氏の祖である天児屋命(あめのこやねのみこと)や天宇受売命(あめのうずめのみこと)、天手力男命(あめのてじからおのみこと)などと共に活躍した神です。そして忌部(いんべ)の祖神でもあります。
一方、猿田彦命は天孫降臨の際、邇邇芸命(ににぎのみこと)を出迎え道案内した国つ神。この時天つ神の天宇受売命と出会い結婚した。鎮魂の儀に楽舞を奉仕するなど宮廷の祭祀に仕えた神なのです。また天照大神を伊勢まで引導したとする伝承もあるのです。
阿波では忌部氏は歴史上重要な集団でして、この祖神が大麻神社におられるとなると、大変重要な神社となるわけです。由緒でもこちらの神を中心に据えているようです。しかし、他説では猿田彦命が最初からの祭神であったのに、忌部の神を後に勧請し大麻宮とした、つまり、祭神を猿田彦命としながらその神の本姓をすり替えたのではないかと。
時の権力者?があくまで忌部の祖としたいらしい。
こうなると、神社の看板にある由緒の信頼性はいったいどうなの!って考えてしまうのですね。話は飛躍してしまいますが、今ある全国の立派な神社、たとえば〇〇大社といった神社の素性も本当はどうなんですかね?
念願叶い、やっとその墓を大阪に移設することになり、供養するため行ってきました。
そして時間に若干の余裕がありましたので、有名なこの神社にお参りできました。
それはその隣町、鳴門市の山際にあるのが『大麻比古神社(おおあさひこ)』です。
一宮(いちのみや)とは、その地域の中で最も社格の高いとされる神社のことなんですね。
大阪から車で明石大橋を渡り、走る事2時間半の距離。
赤い大鳥居が見えた頃、頭を左に降れば山際に風景にはそぐわない建物が・・・
あとで調べるとドイツ館ということらしい。
第一次大戦時板東俘虜収容所に収容されていたドイツ兵士約一千人と地元の人たちの交流を記念して建てられた建築物。このドイツ兵は第一次大戦時、中国青島で俘虜になった約5千人のうちの約1千人です。1917年4月から約2年10ヶ月をこの地で過ごしました。
松江豊寿所長の人道的管理は、戦時下の日本の人を人として尊重する心を表しているという事で、この板東俘虜収容所は『バルトの楽園』(2006年上映)で映画化されました。さらに、年末の国民的イベントの合唱曲、ベートーヴェン「第九」交響曲は1918年6月1日、ここ板東において日本で始めて全楽章演奏されたとの事でした。
さて、『大麻比古神社』です。
なんと川岸にニホンザルがうろついていました。
カメラを向けると少し緊張したような恐がっているような動作。なるほど、野生のサル。境内でもうろついておりましたな。


拝殿
祭神:大麻比古大神 猿田彦大神
社格など:式内社(名神大社)、国幣中社
由緒:神武天皇の御代、天太玉命の御孫である天富命に勅命を奉じて肥沃の土地を求め阿波国に至りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して殖産興業の基を開き国利民福を進め給ひ、その守護神として、太祖天太玉命をこの地に斎き祀る。猿田彦大神は、昔、大麻山の峯に鎮まり坐しが後世に至り本社に合わせ祀ると伝えられる。
境内にある大楠の木


寄進された狛犬像。よく見ると、足元でタバコの煙をモクモクと吹く人間の姿が。これは麻の神社から考えれば大麻(麻薬のタイマ)かも知れない。
帰り際に遭遇した新車への交通安全の祈祷。地元の方々に敬愛を受けている神社である事が窺われます。
さて、この大麻神社の祭神は二人の名前が挙がっていますが、実は、いろいろな説があります。
大麻比古神こと天太玉命は『古事記』では布刀玉命のこと。天照大神が天の石屋戸に隠れた祭の神事で、中臣氏の祖である天児屋命(あめのこやねのみこと)や天宇受売命(あめのうずめのみこと)、天手力男命(あめのてじからおのみこと)などと共に活躍した神です。そして忌部(いんべ)の祖神でもあります。
一方、猿田彦命は天孫降臨の際、邇邇芸命(ににぎのみこと)を出迎え道案内した国つ神。この時天つ神の天宇受売命と出会い結婚した。鎮魂の儀に楽舞を奉仕するなど宮廷の祭祀に仕えた神なのです。また天照大神を伊勢まで引導したとする伝承もあるのです。
阿波では忌部氏は歴史上重要な集団でして、この祖神が大麻神社におられるとなると、大変重要な神社となるわけです。由緒でもこちらの神を中心に据えているようです。しかし、他説では猿田彦命が最初からの祭神であったのに、忌部の神を後に勧請し大麻宮とした、つまり、祭神を猿田彦命としながらその神の本姓をすり替えたのではないかと。
時の権力者?があくまで忌部の祖としたいらしい。
こうなると、神社の看板にある由緒の信頼性はいったいどうなの!って考えてしまうのですね。話は飛躍してしまいますが、今ある全国の立派な神社、たとえば〇〇大社といった神社の素性も本当はどうなんですかね?
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【ジャック】今日の1枚 『おっと、なんやろ?ワクワク(@_@)』
獣医師の過誤か?
先日、ヨークシャテリア(11歳・♂)のミッキーちゃんが転院してきました。なにやら他の病院で治療ミスがあったと事。
詳細をお伺いしてみると、こうです。
掛かり付けの動物病院で尿道結石の治療中、ペニスの先から入れた管を引き抜く際にそれが切れたらしい。
全長40cmぐらいの尿道カテーテルの先端部が切れて尿道内に残ったとの事。
その病院の獣医師はとりあえずの応急処置としてペニス先端から生理食塩水を注入して尿道に残ったカテーテルを膀胱内に送り込んだのです。尿の排出を止めないための緊急処置をされたのでしょう。
この状況で飼い主さんは私のところへ来られたのです。
ミッキーちゃんの症状は食欲・元気は全く無く、嘔吐もあってさらに茶色の尿が出ていました。不妊手術をしていないのでりっぱな精巣が残っているのですが、それがパンパンに腫れている。
常法どうり、レントゲン、エコー、血液の各検査。
確認できました。レントゲン写真です。
目的物を確認するためやや露出をオーバーにしています。
ペニス内の陰茎骨の下に1個、尾部側に数個の結石がありますでしょ。
そして、膀胱内には・・・ありますね、確かに。
膀胱内を一周以上のループになったカテーテルがはっきり写っています。
はて、カテーテルは膀胱内に全部収まっているのか?
ペニス内の結石は動かないのか?動くならばどうすれば取り除けるのか?
陰嚢の腫れは如何に処置するべきか?
通常ならば
1.カテーテルを回収するため開腹し膀胱切開。
2.ペニス内の結石摘出のための尿道切開。
3.腫れた陰嚢は陰嚢切除・精巣摘出。
となります。
しかし、検査の結果、肝腎機能は正常であるものの、ミッキーちゃんは心不全から心肥大を併発しているのでした。
飼い主さんと相談の結果、まずは彼の負担を軽減するため尿道切開は行わず、可能であれば結石を事前に膀胱内に推送するか、体外に引っ張り出してくるか試してみる事にしたのです。ただ、膀胱内には確認はしたものの、カテーテルが尿道内にどれだけ残っているのかは不明なのでやってみなけりゃ判らない状況だと。
さて、2日後のオペ。
結局、1.2.3.の全てを実施しました。
始めは2.を回避するために結石の移動を目論んだのです。しかし推送用のカテーテルを挿入していくと、結石と尿道壁の間で引っかかり閊えて前後、全く動かなくなってしまったのです。
ここでハハ~ンと納得。あの獣医師はこの場面で仕方なく引っこ抜いたのでしょう。それで切れた!
私の場合も同様です。もうこれは切開しかないのでした。
膀胱からは10cmほどの切れたカテーテルを回収しました。きっちり膀胱内にだけありまして尿の排出の邪魔にはなっていなかったように思います。もっとも、異物なので強烈な膀胱炎は起こしていたのは言ううまでもありません。なお幸いにも膀胱内に結石は無かったのでした。
尿道切開では直径数mmイガイガの結石を摘出。
この数mmが曲者!
尿道結石は普通、陰茎骨にまで流出して来ない。陰茎骨内の尿道は小さいから、大きな結石はその手前で止まるんです。しかし、数mmの結石は陰茎骨内まで侵入した。そして無理に挿入されたカテーテルは陰茎骨とイガイガ結石、尿道壁に挟まれ千切れたのです。
初めて尿道結石を確認した獣医師は、すぐに切開摘出は考えないでしょう。膀胱内に戻すことを試みるはずです。
しかし、それが強引過ぎるとこんな事故が起きるのです。まあ、獣医から言うと残念な事ですわ。やってみなけりゃ判らないのですからね。ただ、強引に行くかどうかの判断は其々の獣医師の判断でしょう。
大事なのは飼い主さんに対してのインフォームドコンセントでしょうね。つっかえた時に強引に処置した時のリスクを伝えておかなけりゃならんでしょう。嫌なら切開ですし、そのリスクも理解していただなくては。
ミッキーちゃんは心不全のリスクも回避出来、無事手術終了!良かったですね。
まだ麻酔が少し残っている状態ですが大丈夫でしょう。
あとは予後の管理次第ですね。
回収したカテーテルを決意のこもった声で要求されたのは勿論です。断る理由もありませんから飼い主さんにはお渡ししました。
いろいろ考えさせる一件でした。明日は我が身かも知れません(汗)
詳細をお伺いしてみると、こうです。
掛かり付けの動物病院で尿道結石の治療中、ペニスの先から入れた管を引き抜く際にそれが切れたらしい。
全長40cmぐらいの尿道カテーテルの先端部が切れて尿道内に残ったとの事。
その病院の獣医師はとりあえずの応急処置としてペニス先端から生理食塩水を注入して尿道に残ったカテーテルを膀胱内に送り込んだのです。尿の排出を止めないための緊急処置をされたのでしょう。
この状況で飼い主さんは私のところへ来られたのです。
ミッキーちゃんの症状は食欲・元気は全く無く、嘔吐もあってさらに茶色の尿が出ていました。不妊手術をしていないのでりっぱな精巣が残っているのですが、それがパンパンに腫れている。
常法どうり、レントゲン、エコー、血液の各検査。
確認できました。レントゲン写真です。
目的物を確認するためやや露出をオーバーにしています。

ペニス内の陰茎骨の下に1個、尾部側に数個の結石がありますでしょ。
そして、膀胱内には・・・ありますね、確かに。
膀胱内を一周以上のループになったカテーテルがはっきり写っています。
はて、カテーテルは膀胱内に全部収まっているのか?
ペニス内の結石は動かないのか?動くならばどうすれば取り除けるのか?
陰嚢の腫れは如何に処置するべきか?
通常ならば
1.カテーテルを回収するため開腹し膀胱切開。
2.ペニス内の結石摘出のための尿道切開。
3.腫れた陰嚢は陰嚢切除・精巣摘出。
となります。
しかし、検査の結果、肝腎機能は正常であるものの、ミッキーちゃんは心不全から心肥大を併発しているのでした。
飼い主さんと相談の結果、まずは彼の負担を軽減するため尿道切開は行わず、可能であれば結石を事前に膀胱内に推送するか、体外に引っ張り出してくるか試してみる事にしたのです。ただ、膀胱内には確認はしたものの、カテーテルが尿道内にどれだけ残っているのかは不明なのでやってみなけりゃ判らない状況だと。
さて、2日後のオペ。
結局、1.2.3.の全てを実施しました。
始めは2.を回避するために結石の移動を目論んだのです。しかし推送用のカテーテルを挿入していくと、結石と尿道壁の間で引っかかり閊えて前後、全く動かなくなってしまったのです。
ここでハハ~ンと納得。あの獣医師はこの場面で仕方なく引っこ抜いたのでしょう。それで切れた!
私の場合も同様です。もうこれは切開しかないのでした。
膀胱からは10cmほどの切れたカテーテルを回収しました。きっちり膀胱内にだけありまして尿の排出の邪魔にはなっていなかったように思います。もっとも、異物なので強烈な膀胱炎は起こしていたのは言ううまでもありません。なお幸いにも膀胱内に結石は無かったのでした。
尿道切開では直径数mmイガイガの結石を摘出。
この数mmが曲者!
尿道結石は普通、陰茎骨にまで流出して来ない。陰茎骨内の尿道は小さいから、大きな結石はその手前で止まるんです。しかし、数mmの結石は陰茎骨内まで侵入した。そして無理に挿入されたカテーテルは陰茎骨とイガイガ結石、尿道壁に挟まれ千切れたのです。
初めて尿道結石を確認した獣医師は、すぐに切開摘出は考えないでしょう。膀胱内に戻すことを試みるはずです。
しかし、それが強引過ぎるとこんな事故が起きるのです。まあ、獣医から言うと残念な事ですわ。やってみなけりゃ判らないのですからね。ただ、強引に行くかどうかの判断は其々の獣医師の判断でしょう。
大事なのは飼い主さんに対してのインフォームドコンセントでしょうね。つっかえた時に強引に処置した時のリスクを伝えておかなけりゃならんでしょう。嫌なら切開ですし、そのリスクも理解していただなくては。
ミッキーちゃんは心不全のリスクも回避出来、無事手術終了!良かったですね。
まだ麻酔が少し残っている状態ですが大丈夫でしょう。
あとは予後の管理次第ですね。
回収したカテーテルを決意のこもった声で要求されたのは勿論です。断る理由もありませんから飼い主さんにはお渡ししました。
いろいろ考えさせる一件でした。明日は我が身かも知れません(汗)
テーマ : ペットの健康・病気・怪我
ジャンル : ペット
鬼学事始め
浪速古代史研究会「ウガネット」に参加してちょうど1年になります。
毎月末1回、中之島にある中央公会堂の会議室にて勉強会をやってるのは以前、記事にしました。
昨年はバンド活動の節目だったので、あまり出席出来てないので、今年は気合いが入っているのです。
ちなみに昨年の私の発表演題は
1.天孫降臨の地と久米一族の調査研究
2.『勘注系図』から探る、欠史八代の実年代
3.初期天皇后妃の謎
さて、今月のテーマは「鬼」。節分ですからね。
さっそく下調べのため書籍を購入しました。今日は触りを。
この著書では鬼の文化史として「鬼学ことはじめ」でその概要が軽く触れらています。
まず、中国です。
古代中国では風葬といって、死者を野辺に晒し、肉を腐らせて白骨化させその頭骸骨を祀ったそうです。
死者を白骨の意から「魄(はく)」(魂の器であり魂の象徴でもあるの意)となり、その魂魄が神としての鬼になると考えたようです。
「鬼」の文字は、大きな頭をして足もと定かでない亡霊の象徴であり、「鬼」の上の旁の原字「由(ゆう)」は字音から「幽」(ほのかでよく見えない、死者の世界の意)につながるといいます。
この事は今日でも人が死ぬことを意味する「鬼籍に入る」「鬼籍簿に書く」などという言葉が残っている事から何となく理解できますね。
古代中国の人々は死者を鬼神として現世から封印するように丁重に葬ったが、それでもその死者から恨みを持たれる人々は、現世に怨念を残した死者の怨霊が復讐にくると信じて恐れたらしい。つまり中国の鬼は「復讐鬼」。
一方、日本では、
復讐鬼が仏教思想と習合して、具体的なな造形となり仏教文化とともに日本に流入して来たのです。
仏教思想との習合により鬼は冥界の恐ろしい異形となり、悪行を犯した者を懲らしめる地獄の鬼のイメージに定着したのです。つまり鬼は人を襲ったり、食べたりする、人間界を脅かす冥界の邪神・妖怪として伝わって来たのです。
「鬼」の語源は、
日本最初の漢和辞書である『倭名類聚鈔』(わみょうるいじゅうしょう)931~938年、 この注釈書『箋注倭名類聚鈔』には
「於迩者隠音之訛也 鬼物隠而不欲顕形・・・唐韻曰呉人曰鬼」
鬼はこの世から隠れたものであるから「隠(おん)」といい、「鬼(おに)」「鬼(き)」の語源であるとしているのです。
中国最古の部首別字書『説文解字』
「隠」の字は、「山がそびえて見えない」の意。
山を死者の葬られた古代墳丘と想像すれば、山は「隠の国」
「隠の国=墳丘」は現世の人々には見えない死者のたちの「黄泉の国」である。隠の国=鬼の国が語源の根拠の一つ。
今日の言い回しの例
死者を尊敬語で表現するときに「お隠れになった」といい、これも隠の国(黄泉の国)に旅立つ意味に使われていますから、隠の国=黄泉の国=鬼の国はあながちあやまりではないでしょう。
さて、鬼の具体的造形です。
鬼の造形はインドに源を発するようです。そして中国には見るべきものは少ないそうです。
中国の古典「山海経」には様々な人に似た妖怪が登場するが、それはあくまで妖怪であって、仏教思想における地獄の獄卒としての「鬼」には似ていない。
今日我々が目にする鬼の造形は、日本独自に想像された要素がかなり強いといえましょう。
つまり、浄土宗布教による極楽浄土と恐ろしい地獄の様相が広く流布され、鬼のイメージが人々の中に定着していったのです。
伝来した鬼とは別に日本古代の鬼もあったようです。
それは古代の政権、朝廷に反抗するする勢力を鬼に見立て表現していたのです。「日本書紀」には「鬼」について記述されていますし。大和朝廷に服従しない勢力を「邪神(あしきかみ)」や「姦鬼(かしましきおに)」と悪名をつけて表現しています。これらの勢力は「熊襲」「隼人」「土蜘蛛」「蝦夷」などと蔑称され、かつ「鬼」とよばれたらしいのです。
この日本古来の鬼は伝来の復讐鬼や地獄の鬼とは違い、強い者のイメージをもっていた事から肯定的な表現にも使われています。たとえば、「鬼武者」「鬼才」「鬼神のごとき働き」など。
以上、鬼学のほんの触りです。
私は「鬼と天皇」のテーマで話をまとめようかと考えていますが、どうなりますやら。
参考:『鬼ともののけの文化史』 笹間良彦著 遊子館発行
毎月末1回、中之島にある中央公会堂の会議室にて勉強会をやってるのは以前、記事にしました。
昨年はバンド活動の節目だったので、あまり出席出来てないので、今年は気合いが入っているのです。
ちなみに昨年の私の発表演題は
1.天孫降臨の地と久米一族の調査研究
2.『勘注系図』から探る、欠史八代の実年代
3.初期天皇后妃の謎
さて、今月のテーマは「鬼」。節分ですからね。
さっそく下調べのため書籍を購入しました。今日は触りを。
この著書では鬼の文化史として「鬼学ことはじめ」でその概要が軽く触れらています。
まず、中国です。
古代中国では風葬といって、死者を野辺に晒し、肉を腐らせて白骨化させその頭骸骨を祀ったそうです。
死者を白骨の意から「魄(はく)」(魂の器であり魂の象徴でもあるの意)となり、その魂魄が神としての鬼になると考えたようです。
「鬼」の文字は、大きな頭をして足もと定かでない亡霊の象徴であり、「鬼」の上の旁の原字「由(ゆう)」は字音から「幽」(ほのかでよく見えない、死者の世界の意)につながるといいます。
この事は今日でも人が死ぬことを意味する「鬼籍に入る」「鬼籍簿に書く」などという言葉が残っている事から何となく理解できますね。
古代中国の人々は死者を鬼神として現世から封印するように丁重に葬ったが、それでもその死者から恨みを持たれる人々は、現世に怨念を残した死者の怨霊が復讐にくると信じて恐れたらしい。つまり中国の鬼は「復讐鬼」。
一方、日本では、
復讐鬼が仏教思想と習合して、具体的なな造形となり仏教文化とともに日本に流入して来たのです。
仏教思想との習合により鬼は冥界の恐ろしい異形となり、悪行を犯した者を懲らしめる地獄の鬼のイメージに定着したのです。つまり鬼は人を襲ったり、食べたりする、人間界を脅かす冥界の邪神・妖怪として伝わって来たのです。
「鬼」の語源は、
日本最初の漢和辞書である『倭名類聚鈔』(わみょうるいじゅうしょう)931~938年、 この注釈書『箋注倭名類聚鈔』には
「於迩者隠音之訛也 鬼物隠而不欲顕形・・・唐韻曰呉人曰鬼」
鬼はこの世から隠れたものであるから「隠(おん)」といい、「鬼(おに)」「鬼(き)」の語源であるとしているのです。
中国最古の部首別字書『説文解字』
「隠」の字は、「山がそびえて見えない」の意。
山を死者の葬られた古代墳丘と想像すれば、山は「隠の国」
「隠の国=墳丘」は現世の人々には見えない死者のたちの「黄泉の国」である。隠の国=鬼の国が語源の根拠の一つ。
今日の言い回しの例
死者を尊敬語で表現するときに「お隠れになった」といい、これも隠の国(黄泉の国)に旅立つ意味に使われていますから、隠の国=黄泉の国=鬼の国はあながちあやまりではないでしょう。
さて、鬼の具体的造形です。
鬼の造形はインドに源を発するようです。そして中国には見るべきものは少ないそうです。
中国の古典「山海経」には様々な人に似た妖怪が登場するが、それはあくまで妖怪であって、仏教思想における地獄の獄卒としての「鬼」には似ていない。
今日我々が目にする鬼の造形は、日本独自に想像された要素がかなり強いといえましょう。
つまり、浄土宗布教による極楽浄土と恐ろしい地獄の様相が広く流布され、鬼のイメージが人々の中に定着していったのです。
伝来した鬼とは別に日本古代の鬼もあったようです。
それは古代の政権、朝廷に反抗するする勢力を鬼に見立て表現していたのです。「日本書紀」には「鬼」について記述されていますし。大和朝廷に服従しない勢力を「邪神(あしきかみ)」や「姦鬼(かしましきおに)」と悪名をつけて表現しています。これらの勢力は「熊襲」「隼人」「土蜘蛛」「蝦夷」などと蔑称され、かつ「鬼」とよばれたらしいのです。
この日本古来の鬼は伝来の復讐鬼や地獄の鬼とは違い、強い者のイメージをもっていた事から肯定的な表現にも使われています。たとえば、「鬼武者」「鬼才」「鬼神のごとき働き」など。
以上、鬼学のほんの触りです。
私は「鬼と天皇」のテーマで話をまとめようかと考えていますが、どうなりますやら。
参考:『鬼ともののけの文化史』 笹間良彦著 遊子館発行
【ジャック】今日の1枚 『な~に?』
猫はどういうものか、手が可愛いのです。リラックス状態がよく判るんですね。
今日のジャックはベッドの中でリラックス、しかし何かを期待する眼。
おそらくオヤツでしょう。まだ「待ってね(^_-)-☆」
本日の飼い主さんとの話、
「両目が潰れた猫がいて、義眼を入れたいのやが、いくらかかります?」
「うちの病院ではやってませんが・・・しかし辛いね」
ジャックは片目ですがハンディを感じさせない動作でね、まだ救われてます。